【台湾高速鉄道の建設、開業の裏側】「路(ルウ) ~ 台湾エクスプレス ~」

台湾高速鉄道

今回は、日台共同制作ドラマ「路(ルウ) ~ 台湾エクスプレス ~」のテーマとなっている台湾高速鉄道の当時の建設の様子、そして開業後にどういった道のりを辿ったのか少し詳しく見ていきます。

台湾高速鉄道の開業は最終的には2007年となりましたが、そうした建設や開業の裏側に入っていく前に、その前後の台湾で起こったイベント、様子を紹介します。

2004年: 台北101オープン

著者撮影

言わずと知れた現在の台北のランドマーク「台北101」は、2004年12月31日にオープンしました。
世界で最も高かったマレーシアのペトロナスツインタワー(高さ452m)を超え、台北101の高さは508mで当時世界で最も高い建物となりました。
2008年にドバイでブルジュ・ハリファが完成されるまでは世界で一番高い建物となっていました。
「101」は地上101階建てであることを指し、フロアは主にオフィスとなっています。
台北101の建設工事は1998年から開始しましたので、台湾高速鉄道の建設の少し前から始まったといえます。

また、ここでも日本の技術は導入されており、エレベーター61機全て東芝製となっています。
分速1,010mは当時世界最速エレベーターとしてギネス認定され、地上1階から展望台のある89階(地上382m)までは39秒で到達します。当時、高さ、そして速さともに世界一を目指したこちらも大きなプロジェクトでした。

2005年: 台湾からの日本入国ビザ免除

台湾居住者の日本入国に関してはビザの取得が免除され、最長90日間の滞在が可能となりました。
その後にはLCCの就航が開始されたり、日本の各地方都市との就航があり、台湾からの観光客は増加を続けていくこととなります。

2006年: 桃園国際空港へと名称変更

今では桃園国際空港ですが、以前の中正国際空港という名称から変更がされました。
実はもともと1979年の開業時には桃園国際空港でスタートする予定であったものが、当時の政治的な背景により中正国際空港となったものを、桃園国際空港へ戻した形になっています。

2008年: 高雄市内のMRT開通

台北のMRTについで、台湾第二の都市高雄ではMRT(地下鉄)が開業したのは今から10年ほど前となります。

さて、ここで台湾高速鉄道の建設の話へと入っていきます。

台湾高速鉄道が目指したのは「1日生活圏」というもので、それは台湾の主要都市が多くある台湾本島の西側をスムーズに生活できるようにするというものでした。
それまでは台北〜高雄を特急電車で4時間近くがかかることもあり、国内線飛行機に乗って移動するということもありました。
台湾高速鉄道によって、北と南の人々の往来を簡単に、そして活発にすることで生活をより便利に、そして経済を活性化させるためのインフラとして非常に重要なものとなるのです。

そうしたスローガンで始まった台湾高速鉄道の建設ですが、当時鉄道の建設に関わっていた台湾の方が過去のブログに記録を残していますので写真とともに紹介します。

建設工事の様子

当時の会議、建設工事の様子
橋梁尖兵 (A Soldier of the Bridges より
建設チームでの食事の様子
橋梁尖兵 (A Soldier of the Bridges より

多くの方々が関わった一大プロジェクトであったことがよくわかります。
プロジェクトに関わった台湾の方々と、日本の方々との食事での記念写真のようです。

台湾高速鉄道 開業

2007年1月5日に念願の開業を迎え、今では台湾に住む方々の重要な交通手段となっていますが、実は開業後は利用が進まずに苦戦をしました。
それぞれの駅は市街地から遠く離れた立地にあることや、一般市民が安全性に不安に感じていたことなどによるものでした。
一方台湾高速鉄道側も、市民の利用を進めるためにチケットの料金を最初しばらくは半額期間を設けたり、台北方面へ北上する方は台北まで割引をするなど積極的なプロモーションを展開しました。

当時のニュースを見てみると、一度乗った方々からの評価は高いものでした。
仕事で台湾の主要都市へ頻繁に出張する方は、これまでは台北〜高雄は飛行機を使っていたものを新幹線で行けるようになったことで日帰りができ、便利になったと喜び、台北に住み両親を高雄に持つ方も、これまでは帰省することが大変でしたが、これからは頻繁に両親に会いにいけることに喜んでいました。

そうした便利さから、次第に利用客は増えていくことになります。

自由席の販売開始

2007年1月5日の開業からしばらくは全席指定席となっていましたが、同年の10月6日から自由席の販売も一部始まり、正式に11月12日からは自由席も販売されることとなりました。
自由席の販売開始にあたり、当時はテレビCMも流されました。

台湾高速鉄道は建設、その後の開業も苦難を何度も味わいながらも、次第に市民の重要な足となっていくのです。