【台湾で生まれ育った日本人「湾生」を描く】「路(ルウ) ~ 台湾エクスプレス ~」

日台共同制作ドラマ「路(ルウ) ~ 台湾エクスプレス ~」の中で登場する人物の一人、葉山勝一郎(俳優 高橋長英)は台湾で生まれ育った「湾生」です。

湾生とは、日本統治時代であった台湾に生まれ、第二次世界大戦が終わった後に日本本土へ引き揚げた日本人を指します。
葉山の旧制台北高校の同級生の親友、中野赳夫(台湾名: 呂燿宗)は台湾人であり、大戦後には台湾で生活を続け、その後医師となります。

台湾での日本統治時代は、明治28年の1895年から1945年の50年間を指します。
1905年時点では、台湾に住む約310万人のうち日本人はおよそ6万人と推定されており、終戦の頃の1945年時には、約650万人のうち日本人は約48万人が暮らしていたとされています。
また、その約48万人のうち、台湾で生まれ育った方々は約20万人と推定されています。

湾生にとって故郷は生まれ育った台湾であり、日本本土は遠く離れた地でもありました。
わずかな荷物だけをもって、未知の場所である日本へと向かった方々の混乱や苦労はきっと大きかったことと想像されます。

台北高校

湾生の葉山勝一郎、台湾人の中野赳夫(台湾名: 呂燿宗)が学んだ旧制台北高校の入学試験は台湾一の難関と言われ、狭き門をくぐり抜けて入学した台北高校生には大きな期待が寄せられていました。
一方、台北高校卒業後には、エスカレーター式で台北帝国大学(現在の台湾大学)に進学ができたため、当時の写真からも感じられる通り、生徒は自由な学生生活を送っていたともいわれています。

旧制台北高校の学生
当時台北高校の学生:フォーカス台湾より

台北高校の卒業生には、後の台湾(中華民国)の総統となる李登輝氏がいます。
著書『新・台湾の主張』では、下記のように記しています。

日本人は台湾人のことを少々見くびるところがあった。私自身、そういう場面に何度も遭遇した。高校生の頃母を台北の百貨店に案内した時は、わざと台高の制服を着て『台湾人の俺だってやればこれくらいできるんだ!』という矜持を表したこともあった。しかし、台高の中では差別など一切なかった。級友たちも表立って私たちにおかしなことを言う人は皆無だった

http://taiwanhistoryjp.com/taihoku_high-school2/2/

当時日本人と台湾人は決して対等という関係ではなかったものの、台北高校においてはそうしたことが一切なく、自由な生活であったことが記されています。

なお旧制台北高校は、終戦後の1946年には国立台湾師範大学へと変わりました。
現在は海外からの留学生を対象にした語学センターも充実させ、外国人向けの中国語の教育にも力を入れています。

台湾師範大学
台湾師範大学:ET Todayより

湾生の方々の想い

台湾在住で現地で有名な日本人のiku老師さんが、湾生の方へのインタビューや幼い頃に過ごした家を訪れるという素敵な動画をアップしています。
字幕は中国語ですが、主に日本語で話をされていますのでぜひご覧ください。

こちらの湾生の女性の方は79歳。両親は京都の福知山の出身で、本人は台湾で生まれ、6歳までを台中で過ごしました。
そして終戦後には、台湾を離れなければならない状況となり、夜中の貨物船に乗り込み故郷である台湾を離れました。

(1)台湾を離れ日本へ船で渡るときの気持ちを語る(日本語)

 

(2)台湾の生まれ育った家を訪れる(日本語)

 

故郷を離れなければならなかった湾生の方々が、台湾にある心のふるさとを探すドキュメンタリー映画「湾生回家」が2015年には台湾で上映されました。
タイトルの「回家」とは、中国語で「故郷に戻る」ことを意味しています。

 

湾生の方々については、普段の生活で知る機会は決して多くはありませんが、今回の日台共同制作ドラマ「路(ルウ) ~ 台湾エクスプレス ~」では、こうした方々の気持ちも写し出すことで、私たちもさまざまな想いを巡らせることでしょう。