日台共同制作ドラマ「路(ルウ) ~ 台湾エクスプレス ~」の中で、春香(波瑠)とエリック(アーロン)との出会いは台北から始まります。
初めて台湾を一人旅で訪れていた春香は、エリックに声をかけて道を教えてもらいます。
翌日には淡水を訪れていた春香は、偶然に食事をとっているエリックと再び出会います。
今回は、そんな淡水とはどんなところなのかご紹介していきたいと思います。
淡水は日本の方にも知られている観光地ですが、西洋の歴史文化が混じった、他の土地とは少し異なるユニークな場所でもあります。
淡水へは、台北駅からMRT(地下鉄)に乗って40分、MRT淡水線の終点の駅にあります。
台北駅からMRTに乗るとしばらくは地下を進んでいきますが、途中からは地上に出ますので、台湾の景色を見ながら車窓からのんびりと楽しむことができます。
淡水はヨーロッパの影響を受けたことで西洋文化を残す建物が今も残り、そして水辺の景色と夕日が美しいことで知られる台北近郊の観光地です。
淡水の両岸には情人橋という橋がかかり、周辺にはカフェや屋台などが多くありますので、近場の家族連れの遊び場、若い人のデートスポットとしても人気です。
台湾の方が淡水の水辺や街を上空から撮影した動画を作っていますので、こちらをご覧いただくと淡水の街の美しさがよくわかるかと思います。
淡水とヨーロッパとの関係
1600年代にはポルトガル、スペイン、オランダ、そしてイギリスなどの国々が領有し、貿易の拠点へとしていきます。
これは中国を始めとした東アジアとヨーロッパとの貿易において、台湾の地理的な重要性が認識され始めたことによります。
そうした中で淡水は、当時は台湾唯一の港となり、次第に栄えていきました。
当時のスペイン人は1629年には、淡水に紅毛城(当時はサン・ドミンゴ城)と呼ばれる城を建てています。
この紅毛城はその後のオランダ人によって改築がされ、さらには淡水はイギリスの租借地となりイギリス領事館として使用されました。
これだけでも台湾はじめ、東アジアでのヨーロッパの影響力が、スペイン→オランダ→イギリスへと移っていくことがわかります。
なお、淡水駅から20分ほどで歩いた距離の場所に紅毛城は今も残っていますので、淡水の観光地として多くの方が訪れています。
貿易港としての役割の低下、観光へ
長い期間、淡水は海外貿易の拠点の港として栄えていきましたが、技術の発展によって船はどんどんと大型化していきます。
さらに河口には砂が堆積し水深が浅くなることで、大型の船の出入りがだんだんと難しくなっていきます。
日本は1895年からは台湾を統括し、そうした中で日本の台湾総督府は主要の港を淡水から北部の基隆へと移すことにします。
基隆は、南部の高雄と同じく、台湾の主要港としての大きな役割をもつまでに至りました。
それまで港町として発展を続けてきた淡水でしたがその役割を終え、今では観光を中心とした街へとなっていきました。
雲門劇場
雲門劇場は世界的に活躍する台湾のプロ舞踏団が拠点としています。
2008年には別の場所にあった練習場を火災事故で消失しましたが、4000件を超える献金が集まり、この地に建てることにしました。
高台にあり見晴らしの良いこの場所には、元々軍事用の砲台がありました。
設計はフィールドオフィス・アーキテクツという、宜蘭(イーラン)を拠点に活動している台湾で有名な設計事務所が手掛けています。
フィールド・オフィス・アーキテクツの活動、そしてその想いについては、こちらからよくお分かりいただけます。
天元宮
今では、台湾で桜を楽しむスポットとして知られていますが、始まりは1970年代まで遡り、その方法がユニークです。
もともと台湾ではヤマザクラが桜としては主流で咲いていましたが、日本で有名なソメイヨシノはありませんでした。
そこで、このヤマザクラにソメイヨシノを接ぎ木して育てることにしたのです。
そうすることで、1本の木から2種類の桜の花が咲くようになり、今のように台湾でもソメイヨシノが楽しめるようになりました。
夕日が綺麗に見られるスポットとして知られている淡水は、古くはヨーロッパからの関わり、桜や、芸術など多くのものが存在する街です。
台北からMRT一本、近い距離にありますので、ぜひ台湾へ旅行に行かれる際は足を運んでみてください。